2005年に労働市場の変革を目指して企画した。
人材派遣を行う会社を退職後に、大企業に振り回されることのない、
より自由な職業選択を目指して作成して活動した。
大企業の中堅以上の社員が、ほぼ瞬時にその意味を見抜いたのに比べ、
零細企業の社長や一般の労働者にはピンとこない事が多かった。
当時の活動の中で印象的だったのは、涙を流しながら握手を求められた事が2度
あったことです。
ひとりは商工会議所の相談役、もうひとりは元官僚のヤングジョブの所長さんです。
二人とも、この時すでに60歳を超えていました。
「今の若い人は本当に可哀想だ。」
この時の言葉は、今でも忘れることができません。
2011年6月、震災からの復興に向けて日本がひとつになり、本来の姿を
取り戻すことを期待して企画した。
法律にとらわれないこと、右翼と左翼の罠と二元論の危険性、負の相関関係の分析、
そして力と道徳の一致の重要性を主張するものであった。
後に右翼的なイメージを与えると判断し、タイトルの使用を止めた。
2011年9月、中核派動労千葉の流れを汲む東京西部ユニオンに所属し、
打倒新自由主義、子会社化、請負、派遣は認めないという組合の方針に従って企画した。
産業構造の見直しと建て直しを謀る意図があったが、これは、
合理化絶対阻止を掲げる動労千葉の方針と真っ向から対立するものであった。
組合が活動支援のポーズを取り続ける中、自ら活動中断の決断を行うことになった。
組合活動を経験したことによって、左翼の考え方や国の枠組みにとらわれない考え方への理解を深めることができた。
2011年11月、2件の金融機関に書類を渡した。最初に回った一件目からは、未だに解答を得ていない。
同日、信用金庫に提案に伺ったところ、信用金庫法により出来ない、
他の金融機関でも難しいといった回答を得て活動を一旦終了した。
10月の経産省前の座り込みで、女性に言われた言葉をきっかけに活動を行った。
「・・・・あなたは今、下を向いている。もっと上を向いて、自分の中にあるものを
オープンにしなさい。・・・・あなたは今、騙されようとしている。
その被害を最小限にしなさい。・・・・あなたは良い物を持っている。
今持っているものを大切にしなさい。・・・・あなたは金融について考えている。
せっかく持っているエネルギーを人の非難に使うのは止めて、そちらに使いなさい。
・・・・技術者を使う時は、この人しか持ってないような技術を持っている。
そういう人の方を選びなさい。・・・・お金を大切にしなさい。」
当時、組合に対して批判的になっていた私は、この言葉によってかなり悩むことに
なったが、結果的に人としての成長に繋がったように思う。
2011年11月末日、HPのタイトルを変更し、新たな名刺と新たな気持ちで活動を再開した。
6月から、自分の思想を少しでも理解してもらうために、HPのタイトル入りの名刺を作成して活動していたが、9月に保守派との繋がりを断ち、左翼の中で活動することを決意してからは、名刺を使わなくなっていた。
テント広場という新たな活動拠点は、比較的自由な討論の出来る環境であった。表現方法を工夫すれば相互理解も難しくないと感じ、タイトルの変更とHPの更新を行った。
2011年12月、アメリカでのオキュパイ運動の影響を受け、99%のための政治を目指して活動を開始した。
7月の安部芳裕さんの講演で偶然隣に座られた安田さんが、その後、「Stop-TPP」のメーリングリストを立ち上げ、HPでの呼びかけや、議員訪問等の活動を行われた。
10月から私も議員訪問等に参加したが、その活動も11月にはひと区切りをつけることになった。
その後、安部さんより原発とTPPと増税の3つのイシューで活動することが提案され、十数名で新たなメーリングリストを作成して活動を開始することになった。
2012年年明け前に、mixi内にコミュニティを作成し活動を開始した。
9月19日の明治公園に6万人が集まったとされる集会とデモが、反原発の最大規模のイベントとなった。背景には、6月に原発は必要と表明した連合と、反原発に動くように圧力をかけた組合員の奮起があったと言われている。
予想以上に人が集まったことで、連合幹部は相当に焦りを見せたと言われており、次に予定されていた12月の集会には、動員が無かったと言われている。
その結果、12月の集会は1割に満たない規模となった。一方で、組合旗を掲げた集会に対しての嫌悪感が多く集まったことが問題になっており、組合を中心とした左翼活動の排他性も問題視されるようになっていた。
反原発運動の急激な収束傾向に危機感を覚えた私は、年末に決起文の作成をし、年明けからmixiなどインターネット内での呼びかけを開始した。
脱原発に動かない保守派の人々を見限り、9月に左翼の中で活動をすることを決意していた私は、再び保守派の中で活動を行いたいと考えていた。
2012年2月、インターネットでその存在を知り参加。保守派の脱原発の立場を理解していただき、参加を続けることになった。
2ちゃんねる発祥の活動らしく、保守派が脱原発を言いづらい風潮の中で、テント広場にも出入りしている私の存在は、ネット上でも好意的に評価されているように見えた。
左翼活動の中に入り浸っていた私にとって、左翼感情に配慮することなく、愛国心を前面に出して議論出来る貴重な場であった。